この度は、栄誉ある第4回湖医会賞(診療・福祉領域)に選ばれましたこと、まずこの場をお借りし、同窓会をはじめ、関連各位の皆様方に深く感謝致します。
ご存知のように、2004年10月23日午後5時 分、M6.8強、最大震度7強の大地震が新潟県中越地方を襲いました。避難者約10万人、損壊した住宅約12万棟、被害額約3兆円を超える大規模災害でした。新潟大学医学部では、新潟大学医歯学総合病院を中心として、被災直後から被災地に入り、様々な医療活動を行ってきました。私の所属する精神医学教室においても、教室員が一丸となって被災者の方々の“こころのケア”にあたり、震災後11ヶ月を過ぎた現在でも、中・長期的な“こころのケア”を実践しております。本賞は我々が行ってきた“こころのケア”活動に対して頂いたものですので、私個人というよりは当教室員全員に対するものと理解しております。但し、幸運であったのは、私が滋賀医科大学卒業生ということであります。改めて、このような賞を作ってくださった諸先輩方に御礼申し上げます。
さて、少し実際に行ってきた“こころのケア”活動について述べてみます。でもその前に当時の新聞等を読み返してみましょう。“こころのケア”という言葉が至る所で紙面を賑やかしています。今改めて強く印象づけられることは、当時この言葉が乱用され、一人歩きし、あたかもオールマイティのカードや全ての悪を蹴散らす呪文のように持て囃されていたということです。その結果どういうことが起こったかというと、心のボランティアと称する心無い輩が被災者の生活の場である避難所に無断で入り込み、傷口を舐め回すようなことをしたり、あるいは“こころのケア”をしたいという電話が全国から引っ切り無しにかかったりしました(県庁では対応に苦慮したそうです)。このようなことは氷山の一角です。もちろん、実際に“こころのケア”を担当していた私たちのところにも新聞記者やTV局の方々が山のようにやって来られました。しかし、どうでしょうか。“こころのケア”と言いますが、震災で全てを亡くして放り出された被災者の心を、それまで全く会ったことのない他人である精神科医や臨床心理士がマスコミが望むようにケアすることが可能なのでしょうか?答えはNoでしょう。やはり、このような震災の中ではまず被災者同士の“こころのケア”が重要なのです。特に今回の被災地は、阪神・淡路大震災の時とは異なり、住民間の結びつきが強く、他人が入り込みにくい日本古来の村社会が残っている山間地域ですので、なお更です。では、我々は何をし、何ができたのでしょうか。
我々が行ってきたことは、一言で言えば、“裏方”です。マスコミが謳い上げるような観念的なものでは決してないのです。表に出ず、被災者の方がSOSを出した時にすぐ適切な対応が取れるようなシステムの構築、そして実際の迅速な対応に心がけました。具体的には、まず震災初期の活動としては、担当地域に点在していた130箇所以上にも及ぶ避難所への巡回・診療、“こころのケア診療所“の開設、県外の医療チームとの連携を図るための合同カンファレンスの開催などです。特に“こころのケア診療所“では、震災前から精神疾患をお持ちの患者さんへの処方の継続や、症状悪化時の適切な対応(被災地域には精神科専門病院がないので地域外施設への入院等)に重点を置きました。更に、中・長期的活動としては、地域医療機関と連携し、仮設住宅に住む被災者の方々への診療、健康度調査票によるハイリスク者のピックアップ(その情報を現地のスタッフに活用してもらう)、被災者の方を対象とした精神疾患の啓蒙のための小セミナーの開催、そして、地域行政職員を対象とした講演会の開催などです。 物の本によると、震災後6ヶ月以降の“こころのケア”が最も重要だとされています。震災後11ヶ月を過ぎた今、我々にできる限られたことをしっかりと実践していきたいと思っております。
聞くところによると、授与式はちょうど震災後1年を過ぎた10月下旬とのこと。学生時代には、若鮎祭の時には「秋休み」と称して必ず実家に帰っていた怠け者が、卒業後18年以上経って若い後輩の方々とお話できる機会を得るとは、「人生ってわからないなあ」と感慨に耽り、また不思議な縁を感じる今日この頃です。