昨年は湖都通信で研究を紹介させていただきました。本年は湖医会賞までいただく運び となり本当に感謝しています。本年の7月号では湖医会賞の選考書評がありました。読ん でいると本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。特に渡辺会長のコメントには、不 覚にも涙を浮かべてしまいました。もちろん恥ずかしいので部屋の端で誰にも見つから ないようにしていましたが、“こんなにいろいろ分かってくれはる、良く思ってくれは る人も居るんやな。”と思い、少し涙が浮かんでしまったのです(最近涙もろくなった のは、やっぱり学生時代より少し歳をとったせいかもしれません)。推薦していただき ました笹原教授(富山医科薬科大学)、九嶋助教授(本学病院病理部)とともに、あわ せてもう一度お礼を述べたいと思います。本当にありがとうございました。
しかしながら、少し誤解もあるのかなと思い、今回を機会に少しでもこれが解ければ、 環境を理解していただければ、と考えています。皆さんには僕の研究環境は“恵まれな い(なかった)”と思われている方も多いようです。しかし、少なくとも個人的には “恵まれていない”とは全く思っておらず、むしろ、かなり恵まれている方だと思いま す。自由に研究はできますし、“仲間”にも恵まれています。ここ数年はかなり運も良 かったですし、以下、雑然と書いていますが目を通していただけると幸いです。
前にも書きましたが、学生時代、講義にきちんと出ていた記憶はあまりなく、出ても寝 てました。勉強も試験に受かる程度はしていたと思いますが、、、、、、実習は好きで した。実習でお世話になった野崎元副学長、堀池教授(生化学)、それと井戸名誉教授 (彦根東高校の先輩)、尾崎元副学長(陸上部顧問)、等、講義とは直接関係のなかっ た関係でいろいろとお世話になったことを覚えています。今から考えると、野崎、堀池 両先生には専門でもないことを国試前に質問に行ったりしていました(実は失礼なこと をしていました)が、いつも丁寧に調べて教えていただいたのを覚えています。学生か ら少し質問を受ける立場になって、改めて感謝の気持ちを感じています(結構大変なこ とだったんですね)。今は何とか先生方に追いつけるように頑張っています。勉強以 外、遊び、クラブは学生らしく?“いっぱい”していました。実質はさておきいろいろ クラブに所属していました。先日、偶然卒業アルバムを見ることがあったのですが、ち ゃんと3っつのクラブ、ハンドボール部、陸上部、スキー部の写真に同じように笑った自 分が写っていました。全部体育系でした。医学生として成績はほんまたいしたことなく て、体動かすことが好きやったんです。体力はついてたせいか、医者になってからは助 かりました。結構しんどい時期も多かったんですが、何とか乗り切ることができまし た。しかし、しんどかったこと、うまくいかなかったことは身についているもんです。 大会(西医体等)前に練習して苦しかったこと、勝てずに仲間と一緒に泣いたこと、そ して朝まで遊んだ、飲みつぶれた思い出、等、全部忘れてなくて、いい思い出になって るのと同じです。身になってるもんで、仲間も知らぬ間にできていて、学生時代も、医 者になってからもいろいろ助かったりしました。
研究を続けるようになってからも、スマートな美しい研究からは程遠く、泥臭い体力勝 負の仕事が得意です。何百個も遺伝子をもくもくとスクリーニングしていったり、イン キュベーターいっぱいに数十億個も細胞を増やして蛋白抽出したりとかする仕事が専門 です。人間はうまくできていて、しんどいのもやってるうちに慣れてくるもんですし、 頭の良くない人間には体力があって、それでこなすのが苦痛で無くなってきます。考え れば、帰国時(1999年)、元の教室で研究が続けられなくなったことがありましたが、 これも一生懸命やってると、どこからか“仲間”がやって来て助けてくれるもんで、結 局、その時から今でも佐伯教授(基礎看護)や岡部教授(今のボス)に助けてもらって います(“仲間”とまとめては失礼かもしれません)。当時、生活が少し苦しい時期も あったんですが、これも昔の遊び仲間やクラブの先輩がバイトを紹介してくれて何とか 乗り切りました。研究もたった一人でやっていて、ずいぶんしんどい時期もあったんで すが、やっぱり学生時代に“遊んでいた(ごめんなさい)”という噂の紺谷先生(外 科)に大変助けていただきました。また、でしゃばりでうっとおしい先輩(自分)にも 関わらず研究を手伝ってくれたハンドボール部の後輩達、今でも時々手伝いに来てくれ ますが、とても感謝しています。神様はよく見ていてくれて、一人で苦しんでる時、同 じような記憶を持ったものの中に(“仲間”の中に)混ぜてくれて寂しくないようにし てくれます。頑張れるように人を周りに集めてくれます。“仲間”がなんとか自分を助 けてくれます。不良!?がいっぱい集まっても、自由なフィールドを与えてくれて、縛 りもなさらない岡部教授のおかげなのかもしれませんが、周り、“仲間”には極めて恵 まれています。研究を助けてくださる実験助手の方々、検査部の皆さんの理解もあっ て、今の研究生活が成り立っており、いろんな困難も乗り切れています。
雑然と書いていますが、周りの“仲間”にはとても恵まれているんです。こういう“仲 間”は、むしろ勉強とは関係のないクラブ、遊びの関係から生じてくることが多く、医 者になって所属する医局からは生まれてこないこともあります。社会人になってからの 関係は冷めている部分も多いのかもしれませんが、学生時代のクラブや遊びの“仲間” は、自分を裸にさらしている分(確かに裸になってることも多かったんですが、、、)、 意識せず“仲間”になってることが多く、しんどいときにほんま力になっ てくれることがあります。ここ数年良くそう感じることが多く、考えると、私はクラブ3 っつですから、人より3倍以上こういう関係に恵まれてるわけです。滋賀医大のたいてい のクラブは20年以上経っているので、どのクラブも先輩、後輩をあわすとかなりの人数 になっています。
20周年とかでOBが集まったりすると、並の医局より人が多かったりし て、また、人間もよりvarietyに富んでいて、極めておもしろい集団であることに気がつ きます。しかも、この集団の中では、一生先輩後輩という関係がついてまわるんです が、この関係は思うほど厳しくなく、極めて気持ちのいいものなのです(逆らったから といって、決して辺ぴなところにとばされたりはしません)。やっぱり昔おんなじしん どさ、悔しさを経験した“仲間”のせいなのでしょう。OB戦とかやると(みんな体力的 に苦しくなってきてるんですが)、すぐ打ち解けて、気持ち良くって、、、、、先日も ハンドボール部の西医体優勝を祝おうと神戸に試合の応援に行きました。が、決勝で1点 差で負けてしまいました。応援に来ていたOB含め、学生は特に悔しい思いをしたことと 思います。泣いて目が腫れて誰か分からんような顔になった奴もいました。その日はみ んな深夜まで飲んで騒いで、私も声がかれてしまいました。全部あわせていい思い出、 “仲間”でしょ!決して忘れないでください。みんなもう素晴らしい“医局”に入っ て、素晴らしい“仲間”に支えられているんですよ!!滋賀医大生になってどこかのク ラブに入ったときから実はもうある“医局”に属しているんです。私の場合は“滋賀医 科大学ハンドボール部、陸上部、スキー部”という3っつの“医局”でした。どれもとて も良い“医局”です。いくつも掛け持ちできるのも特典の一つで、後輩達に伝えられる ことは、、、、、やっぱり!“いろんなクラブでいっぱい仲間をつくって下さい!!” で、一生懸命勉強をして下さいでは、、、、、勉強はいつからでもできるのでと、皆さ ん、この気持ちのいい“医局”にできるだけ入ってください。
最後になりましたが、今後の展望も少し書かせてください。最近は少し国から研究費が いただけるようになりました。研究費をもらったら義務のようについてくる研究発表会 があるのですが、出てみると周りにはいろんな分野ですごい人ばかりです。“まだまだ 馬の骨だった”とぼう然としてしまいます。未熟なこと、努力の足りないことを痛切に 感じます。しかし、ぼう然としているだけでなく、今後も精進しようと決めています。 幸い“医局”の仲間には極めて恵まれていますし、湖医会賞もいただいたように、運も 良さそうなので、まあ何とか乗り切れるでしょう!?
もひとつ最後に、忘れてました。嫁さんと子供、私の家族もわがままな生活を支えてく れる一番大切な“仲間”でした。
“皆さんどうもありがとう。”